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プロフィール

yuji0517

Author:yuji0517
氏名、野崎雄二(YUJI NOZAKI)
経歴、1947年、新潟県生まれ
 1970年、早稲田大学政治経済学部卒
 1970~1994年、住友信託銀行
 1994~2014年、住信投資顧問(現三井住友トラストアセットマネジメント
 2014年、退職
30年余にわたり、株式のファンドマネージャーを続けて来た経験から、書き残してみたいものが、多々あり、ブログを始めてみた。
<初めて、読む方に>
左下の「過去の掲載記事のテーマ一覧」で、「初めに」に、ブログの全体像を、次いで、テーマ別に、頭に、目次を付けていますので、興味あるテーマを選んで、読んでいただけたらと思います。

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第1章 「ノルマとの戦い」

野村証券―第2事業法人部―      2017,5,4
第1章ノルマとの戦い

この著書は、日経新聞の「私の履歴書」を連想させる。
「私の履歴書」は、私が大学1年生の時から、読み続けているので、50年余の付き合いになる。「私の履歴書」は、大半がゴーストライターのようであり、また、それなりの社会的な地位もあることから、本音と言うより、タテマエの世界での、自分の生きざまの振り返りと言うところである。
それに比べて、本書は、自分の言葉で、本音の世界で、自分の経歴と生きざまを書いていることでは、注目に値する。
著者は、オリンパス事件で、金商法、刑法(詐欺)と組織犯罪処理法(マネーロンダリング)違反で、起訴されており、今さら、失うモノがないと言う立場で書いているのであろう。
その為か、関係者全てを、実名で書いており、文章に迫力がある。

第1章は、「ノルマとの戦い」は、野村証券入社から、金沢支店時代の経験である。
1978年3月、京都大学卒業、4月入社、金沢支店配属
1981年11月、本社第2法人部に移動、支店勤務3年8カ月

金融業界(銀行・証券)が、大きく変わるのは、1984~85頃からであるから(1985年がプラザー合意)、横尾氏の金沢支店勤務の時代は、まだ、証券業界が古き体質が色濃く残っていた時代で、証券会社は、「株屋」と呼ばれていた。

何故、京大卒で野村証券へ入社したのか。
私は、1970年の早大卒であるが、私の周りに、証券会社に入社したのは1人もいない。
当時から、証券会社は、今で言うブラック企業の代名詞のようなイメージがあった。余程、成績が悪くて、何処からも入社の内定がもらえず、仕方なくて、証券会社しか採用して貰えなかったケースしかない。
横尾氏の大学4年の1977年の頃も、同様であったと思われる。
証券会社の世界を知らないまま、言わば、騙されたかのように入社してしまった経緯が記述されている。

証券会社の支店での営業とは、殆ど詐欺と言っても等しいものである。「ノルマとの戦い」では、如何に、とんでもない営業を行っていたか、その実情があからさまに描写されている。
内容は、本文を読んでほしい。
刷りこみとパワハラの中で、横尾氏は、生き残ったが、野村証券では、新入社員が、1年で半減していたのは当然であろう。

私は、1982年から、銀行員でありながら、証券業務に関与するようになったが、証券業界の実情を、直接、見聞きするようになり、「間違って、証券会社に入社しなくてよかった」と、つくづく思ったモノである。

当時はやった歌に、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」がある。
「さあ ねむりなさい 疲れ切った体を投げ出して」
「この都会は、戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士 どうぞ 心の痛みをぬぐって」
とある。
パワハラのなか、詐欺的な営業に邁進していた彼ら証券営業マンの心情には、心痛むモノがある。
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